今日はこの前話した熟年離婚カップルの

続きを書きます。(カップルではありませんね)



荷物の整理・離婚届 共に何事も無く

終わり、

ひと段落した次の日


プルルルルー

と電話がなりました。


旦那さんからでした。


まだかなり落ち込んでいるらしく

声が 暗い。


話はこれからの事でしたが

この内容が また・・・。


「オレ お坊さんになろうか 考えてるんだよ」


(かなり弱っていますね)

(ちょっと泣き言はいってました)


「そうなんですか

どこいくんですか?」


「岡山にしようと思ってるんだよな」


この時 自殺 

の言葉がよぎりました。


が、あの性格ではありえない。

でも、ここまで考える人は実際にいるんですね。


この人の場合 次の日には違うことを考えているので

現実にはならないと思いますが、

きになるのは

飲酒を医者にとめられているのに

毎日飲んでいることです。

そしてその度に 電話をかけて来ます。


一応飲酒は電話があるたび、注意しますが

一向にやめませんね。

やっぱり寂しいんですね。


ただこのまま飲酒を続ければ

寿命が短くなるのはわかります。

色々先の話をして

まぎらわしていますが、

一時的なもので次の日には

やっぱり忘れています。


もちろん奥さんには 伝えていません。


こういう場合、何もできないんでしょうかね。

また今日も電話が来ると思います。 

このところ

テレビやブログでよく見かける

「熟年離婚」


多くに女性が

望むらしい。



子育ても終わり

ほっと一息いれたら

今度は旦那が定年退職で

旦那の面倒をみなければ

ならない。


死ぬまで続くのか

と思うと結果「離婚」

になるらしい。



実はすごい身近で

熟年離婚が起きた。


奥さんは10年くらい前から

「離婚する」

と言っていたので

「やっと」

という思いがあるが、

旦那さんはかなりショックを受けている様子。



2日前 奥さんの荷物 配送

前日  離婚届 提出



旦那さんから昨日連絡があり

教えてもらった。


話を聞くと荷物が無くなった日は

寂しくて眠れなっかたようです。


特にお金や資産があるわけでは無いので

もめることは無かったが、

旦那さんは未練たらたらです。


こうなるとホントに男は弱いと感じますね。


まあ 日々の行いに問題があったと

しみじみ感じているようですが、

いまさら遅いですよ。


私の意見では お互いが決めたことなら

結果がどうであれ、一番の選択だと思います。


でも、旦那さんはちょっとかわいそうなので

今度飲みにでも行こうと思います。



不自由ない生活をしていると

どっか歯車がおかしくなるのですね。


私たちのように障害児を持っている親が

離婚する と言う話はほとんど聞きません。

もちろん母子家庭もいますが、

父親にかなりの問題がある場合です。(暴力など)



幸せを感じるには、辛さを受けないと、気付かないのかもしれませんね。


kuuuno 27才

偉そうなこと言ってすみません。

今日は障害児をもった親について

書きたいと思います。


私の主観がかなり入ってしまうため、

また違う考えの方もいるとおもいますが

そんな方はドンドンコメントください。

待ってます。




まず親にとって一番の試練は

子供の障害を医者(専門の)から

告知されたときですね。


これはほとんどの方が

理解するのに時間がかかると

思います。

特に父親は時間がかかりますね。


私の聞いた話では

家出したお父さんもいたようです。


このお父さんは現在ちゃんと家に帰っています。

(この前 フィリピンパブに一緒に行きました)

(かなりはじけていましたね)


次に周囲です。

親の両親、

ぞくに言う、ばあちゃん・じいちゃんですね。


ココの理解が早いと親も楽なのですが、

じいちゃん ばあちゃんも初めての経験で

頼りにならない。

それだけでなく、人の目を気にする人もいる。

こうなると かなり肩身が狭い思いをしますね。


矛先はたいてい母親に向くため

うつ状態まで行く人もいますね。



しかし、これを乗り越えると母親は


オバタリアン化 します。


テレビで よく障害児の母親を見てください。

涙を流してたりしますが

意志の強さが目に出ています。



ちょっと茶化してしまいましたが

ここが一番大切です。


うちの息子のように知的障害なら問題ないのですが

肢体不自由や脳に大きな障害がある子の場合、


実際 親はいつも死を身近に考えています。

ちょうど癌患者が近くにいると思えばわかり易い

と思います。


だからこそ、

小さい成長に喜びを感じ、愛情を注ぐ。


逆に兄弟が普通だったりすると

普通の子が嫉妬します。

でもその子もちゃんと分かっていて

障害を理解している。

これは不思議なことで

親以上に理解していることが多い。


大人は何を言っているのかわからなくても

兄弟には分かることがある。

お互いに言っていることが分かるから

兄弟ゲンカもするらしいです。

普通ならカミナリが落ちるとこですが、

心の中では喜びもあるようです。



まあ ぐだぐだ書きましたが、

最初は理解するのに苦しんでも

それを乗り越えると

結構強い人間になっていたりします。



私は周りの方に比べると

まだまだですが・・・。


いまだに子供がいる と言うと

かなりびっくりされます。



まだ 父親の威厳が無いのですね。

これが今 一番の悩みです。

実は、2ヶ月前から他でも

ブログをやっている。



そのせいか、こっちはおざなり

になってしまいました。



向こうでは、アフェとかもしていて

結構色々しているけど、

毎日やるなら、

自分の思ったことを

何も考えず、書いたほうが楽しい。



というわけで

こっちでは好き放題やりたいと思います。



まず日本では大変なことになるだろう

平井さんの歌



これってかなり

いけないことだと思いますが、

中国人はやってしまうんですね。



今ふと 思い出したんですがですが。


ブログをはじめてから

まだ子供のことをあまり書いていませんね。


たまには息子のことを書きますか。



息子(敏忠)は現在5歳、

体重・・・。

これ以上書くと

「子人情報保護がどうの」

言われて訴えられても

こまるので控えます。


とにかく太ってきました。

おなかを触ると

気にしているのか

嫌がるようになりました。



息子(敏忠)の名前は

私がつけたのですが

最近 流行の名前では

ありません。



周りにかなり反対されましたね。


でもこれだけは 誰にも譲らず 独断で決めました。

おそらく 妻は「ヒットラー」

と叫んでいたでしょう。


しかし今ではもう 名前もなじんで

文句を言われることも無くなりましたが、


自分が独断で決めたからでしょうかね。

もうちょっと難しい名前にすればよかったと

最近思います。



たとえば、



宇流都(うると)


これはいかがですかね。

私は昔 

「なぜ 親は マイキー と付けてくれなかった」

と自問自答した覚えがある。



当時は グーニーズ にはまっていたのでしょう。


息子は今、「ウルトラマン」にかなり

はまっています。

この名前にしてたら

息子は喜んでいたでしょう。



最近はどこから仕入てくるのか

「セブン」や「タロウ」の歌を歌う。

しかも替え歌で、



「タ~ロオ!タ~ロオ!タ~ロオ~ ウルトラマン!タロオ~」

これが息子のフィルターを通すと



「パ~パちゃん!パ~パちゃん!パ~パちゃ~ん おもちゃ~買って~」


となるらしい。


障害児を持った親にとって

こんなことでも

息子の成長がとても嬉しく

涙がでそうになった。

必死に涙をこらえ

私は息子にもわかるように

優しく言ってあげた。






「おもちゃは カ ワ ナ イ ヨ




「鬼畜」

最近 私の呼名です。








郵政民営化で大勝した小〇さん。
私も小〇さんなら国会を
お掃除してくれると思い、
清き一票を投じました。


が、なんとそのしわ寄せが
今になってやってきました。


私の住む東〇〇米市の市長は
自民党支持の市長であるため
息子の行く幼稚園を民営化すると
言い出した。


民営化したほうが 補助金をだすことになるが
かなりの経費が節減できるらしい。


はっきり公表するが
未熟者の私は給料が少ないため
幼稚園の学費は0円です。

そうなんです。市民の方におんぶさせていただいています。

この場をかりて 
市民の皆様 ありがとうございます。
ほんとに助かっております。


ということで 今 私の負担は無いに等しいが、
民営化されれば、ひとたまりもない。


私達の食卓から
おかずが1品2品・・・
と減っていき


私を除く家族(妻・息子)のいいダイエットになってしまう。


が! 私たちの生活は大変なことになる。


障害者支援法案 という
支援なのか 金集めなのか 
わからない法案が国会において
承認された。


今更ながら自民党への
清き一票
別の使い方があったかと
考えるこのごろです。


妻は共産党にいれていた。
理由を聞いたら



「女の人だから」



「・・・」



皆さんもよく考えてから投票したほうがいいですよ。


久しぶりの更新です。といっても一人しか見てくれませんが。

でもゆっくりできる時間ができたので日記書きます。


みなさん将来の夢ってありますか?


夢っていうのは、

自分の想像で

なんでもできますからね。



例えば、ミュージシャン・女優さん・政治家

などなどあげたらきりがありません。



これって大事なの知ってますか。


夢は持っているのに

時間が経つにつれ

だんだん自分の限界を知り、線を引いてしまう。



これが一番悪い。


皆さんは「催眠術」って知っていますよね。

そうです。ねむくなっちゃうやつです。


これと同じで勝手に限界線を作る事によって

自己催眠かけてるんですね。

だからできなくなっちゃう。



だからこれを使って

逆に限界以上の人間になればいい。



そんな簡単じゃない!

って、思うかもしれませんが、

試しにやってみたらわかります。


夢だと現実み がないなら

目標でいいと思います。


まず目標を紙に書いて毎日見るだけです。

しかも寝る前や寝起きのボーッとしている時が

ベストです。


他にもいくつか、やりかたはあるんですが

さしあたって これが一番やりやすいと思います。



実際 私はこれを実行して

2ヶ月で達成できました。


私の目標は

●売上を倍にする。

●HPのアクセスを4倍にする。


売上は現実みのある数字にするため

2倍にしました。



結果 2ヶ月しか経ってませんが、

目標は達成しました。


自分でもわかりませんが

ホントです。


ただ仕事に対する感覚が全く違うのを自覚しました。



仕事をする上で

マイナス面を無くし、プラスを増やすように心がけるように

なりました。


小さいマイナスを減らし、小さいプラスを増やす。


これだけです。

だから私もよくわからないのですが、

結果がでてきました。



皆さんもやってみるといいですよ。



ホントは教えたくないけど

どっちにしても 1人しか見てくれないから

言っちゃいます。



でも試しにやってみ!


マジだよ!

最近忙しくなかなか記事が書けず困っている。

早く続きを書きたい所だが ちょっと疲れているので

息抜き話をする。


今日 昼間 携帯に知らない番号で電話がかかってきた。

誰かわからないが一応出ることにした。

「〇〇ですけど Mさんいらっしゃいます。」

「いえ 違います。」

「すみません。間違いました。」

電話は切ったが、すぐに同じ所からまたかかってきた。


おかしいと思い 携帯の表示をよく見ると

転送とでていた。

おれは携帯に転送をした覚えがないから、

おそらく転送設定した人が間違えておれの番号をいれたのだろう。


今かけてきている人に伝えてあげようと電話にでて、説明してあげた。

ちなみに電話の向こうは50代くらいのババアだ。


「Mサンが転送の設定をしていて 僕の携帯番号を間違えていれてると思うんですけど。」


「なんでMさんがあなたの電話番号知っているんですか。あなたMさんとどういう関係なんですか。

Mさんに電話かけてなんであなたがでるんですか。」


立て続けに人の話も聞かず そのババアは言ってきた。

聞いていたらだんだん腹が立ってきて、ひとしきりババアがしゃべった後に言ってやった。


「しらねえ。」


「私だって知りません。」

と言って ババアは電話を切った。


数分考えたが どう考えても

おれは間違っていないし、勝手に携帯番号を使われているのも気持ち悪い

だから着信履歴からババアに連絡することにした。


ババアはおれが連絡する前にNTTに連絡して確認したらしい。

とりあえず転送がついてるのは わかったらしいが

その番号まで教えてもらえなかったとおれにあたってきた。

しまいには

「なんであなたがでるのよ。」


「おれが知るか。Mさんがおれの番号で転送の設定してるからだろ。」


「なんであなたが私の家の番号しってんのよ。」


「携帯に電話かかってきたから、着信履歴が残るんだよ。とりあえずこのままだと

おれも勝手に番号使われてちゃ 気持ち悪いから、あんたからMさんに電話して

番号違っている事伝えてよ。」


「なんで私が電話しなくちゃいけないの。私は電話しただけで関係ないじゃない。」


-- バ カ -- (心の一言)


「じゃ おれが電話するから番号教えてくれ」


「なんであなた番号知らないの」


「携帯には番号がでてこないんだよ」


するとババアは 面倒なことはMさんにまかせようと

思ったのか すんなり番号を教えた。


Mさんに電話するとつながった。 

一連の流れを説明し

転送の番号を確認してもらった。

一つ間違えていたらしい。

Mさんはずっと謝っていたから おれも腹はたたなかったが、

あのババアには ほんとに切れた。


親切にと思って話ているのに 悪人あつかいだ。


ほんとに ばか はいるだけで迷惑だ。

つくづく思う。


ちなみに そのばか の電話番号は 011 で始まる。

まったく時代おくれの相手をするのも 楽じゃない。


ずっと 悩んでも仕方がないと思って、これからの事を考えた。

まず、幼稚園だ。 普通の幼稚園は難しいだろう。

障害児を受け入れてくれる所はあるのか。

そんな事を考えていたら、女房が探してくれていた。

すぐに連絡して、会う時間を作ってもらった。


医者の宣告から、どうしたらいいのか全く分からない為、

相談を含め、説明を聞くようにした。


幼稚園のシステム・教育方法などの概要について、 

一通り説明を受けた。

「何か質問はありますか。」

と言われ、とても気になっていることを言ってみた。


「おれと女房のケンカが障害の原因ではないか?」


この疑問は成長の遅れが見え始めてから、

ずっと 心に引っかかっていた。

女房は周りから かなりこの事に対して言われていたらしい。

今 冷静になって考えても間違いなく、ケンカは子供にとって良くない。

原因がそこにあろうが なかろうが 

成長の妨げになっていたことは確かだろう。

意識すればするほど 反対に頭に来てしまうジレンマに二人ともはまっていた。


この質問に対する先生の言葉は簡単で

おれは二度と忘れないだろう。


「息子さんの事は生まれ持ったもので、全く関係ありません。

 お父さんも お母さんも そんな事 気にしないで、

 私達に全部まかせてください。

 2人とも若いんだから もっと元気出して!」


「・・・」

言葉がでなかった。

恥ずかしながら、涙をこらえた。


ずっと 引っかかっていたもの、女房とのジレンマ

すべて吹き飛んだ。


誰にも理解されず、 支え合わなければいけないのにそっぽを向くおれ達

こんな夫婦を理解して、 優しい手を差しだしてくれたのは

この人が始めてだった。


無論 その場で入園希望を出した。


今も その人は幼稚園で沢山の障害児の教育をしているが、

身近すぎて、その時のお礼はまだ 言っていない。

機会が あったら 必ず伝えようと思う。


これがきっかけで おれは 家族の事に正面から向き合えるようになった。

相変わらず 経済的にはきつかったが、ケンカも少しづつ減り、

家族3人で笑ったりすることが増えた。

息子の成長も右上がりになってきた。 


まずどこから話そうか・・・

おれは27才で 女房も27才、息子は5才で おれが21才の時生まれた。


おれらの結婚生活はそんなにいいものではなかった。

その頃 おれは2日に一回だけ睡眠をとる生活をしていたから、家に帰るのは2日おき。

帰ってからは女房とほとんど会話せず すぐに眠る。朝は 女房より早く起きて出かける。

この生活を 一年続けた。

子供が生まれる時でさえ、病院で寝てしまって、看護婦さんに起こされた。


こんな生活だから夫婦間も冷めて、会話といえばケンカだった。


それでも子供が生まれたときは嬉しかった。今でもそれは変わらない。

当時は親としてのの実感が薄かったせいもあり、今の方が喜びは大きいと思う。


そんな1年も過ぎて 毎日 家に帰れる生活になった。

でもそれと反比例して 収入は減った。

このときから経済的に苦しい日が続くようになった。

女房に毎日500円を渡し 生活させるようにした。

子供を持っている人には分かると思うが、500円で食費・紙おむつ・粉ミルクなど

やりくりすることは 絶対に不可能だ。

今 考えるとかなり理不尽なことを言ったと反省するが、当時はそうしないと

月末に食物を買うお金も無くなってしまう状態だった。

電話は1年程止まり、ガスが止まったこともあった。


こんな生活だと 同じ事をいうが 毎日夫婦ゲンカは絶えない。

女房は本気で離婚を考えていたと思う。


息子も3才になり、普通の子なら喋りだすのに、しゃべらなかった。

女房は、2才くらいから うすうす気付いていたみたいだが、そのうち喋ると言って おれは話を聞かなかった。


しかし半年後、保健所で検診したところ医者に はっきりと宣告された。

「身体面には全く問題ありませんが、精神面において遅れがあります。

平均の60%くらいの成長です。つまり知的障害です。」


この後20分くらい医者と話したが、覚えていない。これは結構 こたえた。

家に帰ってきてから 何度も医者の言葉が聞こえてきて、

おれは何度も 「え?」 と 聞き返した。 

息子が腹の中にいたときから おれはまともに女房と話さずケンカの毎日

これが原因かもしれないと自分に ずっと問いかけていた。


今 考えるとあの時は自分のことで手一杯で余裕がなく、1ヶ月位 同じことを考えていた。

ほんとなら 家族を支えなければならないのに そんな器量も持っていなかった。